
先ごろ滋賀県で行われたフィギュアスケートの国民スポーツ大会冬季大会予選会において、県勢の成年女子としては24年ぶりに本選出場を決めた新田めぐみさん。自身は二児の母であり、夫の転勤により5年前に縁もゆかりもない香川へ移住するという困難を乗り越えての快挙です。
そんな新田さんの原動力となっているのは「自分が頑張ることで、同世代の子育て中のママたちに勇気と希望を与えたい!」という思い。今回は、その原動力のきっかけとなった事や、自身の経験からのメッセージなどについてお話をお聞きしてきました。
本当やりたかったこと、好きなことをどんな形でもやってみたら自分の人生が開けていく

ーーまずは国スポ本戦出場おめでとうございます。ずっと香川でフィギュアスケート選手として頑張ってこられたんですか?
新田さん「実は震災の年に神戸に生まれて、両親が安全なところに住みたいということで岡山に引っ越したんです。7歳ぐらいの頃、家族でたまたまスケートリンクに遊びに行ったことがきっかけで、フィギュアスケートを始めました。」
その後、父の転勤で高校時代は大阪、大学入学から社会時に至るまでずっと京都に住んでいたそう。やがて結婚し、5年ほど前に夫の転勤で縁もゆかりもない香川に引っ越してきたそうです。
新田さん「ぶっちゃけ(香川への引っ越し当初は)すごく嫌だったんですよ。誰も知っている人がいなかったですし、ちょうどコロナ禍だったこともあってすごく孤独だったんです。そんな中、一人目を出産して、半年間ぐらいは産後鬱で家に引き籠りだったんですよね。その時は、このまま子どもが成人する20年ぐらいは自分のやりたい事は何もできない… なんて半ば諦めていました。」
ーー大好きなスケートもできないと?
新田さん「いえ、もうその時はスケートとは離れていました。京都の頃はアパレルで働いていましたし、香川に引っ越してからも岡山の(アパレルの)お店まで通勤していました。」
ーー子育ても大変、スケートからは離れてしまっている…。そんな時、どんな事を考えていましたか?
新田さん「とは言え、産後の大変な時期が落ち着いてくると『このままでは嫌だ』と思うようになったんですね。アパレルもやっぱり関西に比べるとちょっとファッションの需要が低いなって感じたので、業界チェンジというか転職を考えてたんですけど、でも何がしたいのかもまったく分からなくて…」
今まで自分が頑張ってきたスケートはブランクがあってもう何も生かせない、学生の頃は英語が好きだったけどずっとスケート漬けだったのでそれほど自信もない。なんだかどっちも中途半端だったなって思ったそう。
新田さん「で、そのまま半年、1年、しかも息子が全然寝てくれないからすごくしんどくて…。やっと1歳前ぐらいになって、夜通し寝てくれるようになった時に、何か資格を取ろうと思って色々調べて、色々候補があったんですけど、言語が好きっていうのと、異文化が好きだったので、日本語教師になろうと思いました。英語の先生になるにはそこまで英語力がないなと思ったので、日本語を教えるのだったらできるかなと思いました。例えば外国人の方に日本語を教えるとか。」
えっ、日本語教師?? そこでフィギュアスケートに復帰! っていうストーリーじゃないんですか?!

新田さん「そうなんです、リモートなど柔軟な働き方ができると思ったのでそっち(日本語教師)の世界に飛び込んでスクールに1年間通ったんですよ。子供もまだ1歳とかだったんですけど、保育園の一時預かりをちょっと預けながら、夜も勉強して、資格を1年かけて取って。
で、そんな時に2人目を妊娠して、出産して、2人目が半年ぐらいの時に、やっと日本語学校で働き始めて。そんなこんなしてる時にスケート教室でお手伝いしないかとかそういう話があって…」
何か一つの事を頑張ると、不思議と他の事も繋がって来たりするんですよね。
実は雑談ってすごく大事で、いろんな人と雑談する中で、別に自慢するでもなく話題として自分はこんなことやってる(やってた)みたいなことを話すこともあると思いますが、そういう話って何かの時に思い出してくれたりします。そこから紹介とか回りまわって誰かと縁が生まれるとか、意外とロジカルに物事は進むものです。だから、ちょっとでも行動を起こす人が得をするのでしょうね。
ーーその時点で、ブランクってどのくらいあったんですか?
新田さん「スケート連盟には一応属していたのできっぱり辞めたというわけじゃなかったのですが、スケートとしては5年ぐらい空いてました。でもスケート教室で教えるくらいなら何とかなりました。」
その後、選手としても復帰しないかという話があってからはブランクを埋めるのは少し大変だったそう。
新田さん「(競技としては)8年ぶりに練習を始めて、最初は三半規管が弱くなっていたのでスピンも目が回りますし、ジャンプもすごい怖かったんですけど…。でもやってみたらすごく楽しくて、昔を思い出してきて、意外とそこもなんとかなったみたいな感じです。自転車と同じで体が覚えているというか。怖い気持ちはあったんですけどやってみたら意外とできたのでよかったです。」
新田さんの練習中のひとコマ(写真は新田さん提供)

ーーとは言え、ジャンプやスピンなどの技術も高いレベルを求められるでしょうし、表現力も必要と聞くので、相当な努力はなさったと思います。スケート教室の講師で満足しても良さそうなものですが、選手として出場しようと思ったのには何か理由があるのですか?
新田さん「今、丸亀って結構盛り上がってるんです、若者で。
丸亀ビルってご存知ですか? 古いビルにいくつかお店が入っているのですが、1人目がまだ1歳くらいの時にふらっとそこのお店に行ってそこの人と仲良くなりました。その店主さんは若いのに、自分でお店を作って、ファッションも作って、すごいなと思っていたのですが、さらにファッションショーをやることになって。去年、ちょうど1年前、1回目をやったのですが、その時、私(モデルとして)初めて出たんですよね。そのファッションショーに出た時に店主もそうですし、いろんな思い、強い思いを持って頑張ってる女性9人がランウェイを歩いたんですけど、そういう周りの刺激を受けて、私ももっと頑張ろうと、そういう気持ちになりました。
そこから数ヶ月後に国スポの話が来て、最初は全然体なんて動かないし、冗談やろうぐらいな感じで。それが夫に話したら『出たらいいやん。ママが国体予選に出るって面白いやん』って言ってくれて(笑)。夫が背中を押してくれたこともあって、出ようと思いました。」
ーー本選は1月末からでしたっけ? 今はめちゃくちゃ練習頑張ってる時期ですよね?
新田さん「そうですね。ただ、急にハードな練習を始めたもので、肉離れを起こしてしまって…。国スポ予選が終わって1週間休んだらだいぶ良くなったんですけど、様子見つつ、自分の体と相談しながら集中して練習しています。でもどんどん(感覚が)戻ってきていて楽しい。そういうの嬉しいというか、まだ若いけど、さらに若返った感じになって、一緒にやってる子たちがまだ20歳でも上の方かな? 16、17歳の子たちが多くて、自分の年齢の半分くらいの子たちと練習をやってるので楽しいです。気持ちはもう戻ってます、その頃に(笑)」

ーー冒頭にあったような、子育てママさんに勇気を与えたいみたいなのはご自身の経験からなんですね?
新田さん「人にもよると思いますけど、子どもに尽くさないといけないというかそんなんじゃない。子どもにも親が頑張っている姿を見せたいですし、ママだからこそ本当に好きなことをやって輝いていたらいいと思います。そんなママさんが日本中にたくさんいたら日本はもっと良くなるじゃないかなと思ったりもします。」
女性は結婚したら家庭に入って子育てするという古い考え方から、今度はそういう反発があって、子どもを生まない選択というゼロヒャク思考で両極端になっている人も多いような気がします。でもこれだけいろいろ環境が整っている、地方に住んでもリモートでいろんなことができるという時代になってくると、欲張っても全然いいと思うし、できることもあると思うんですよね。
ーーとは言え、新田さんのようにフィギュアがあったり、英語があったりという人ばかりではないと思います。
新田さん「人って、頭の片隅にきっと、これを本当はしたかったっていうことは絶対あると思うんです。私にとってはスケートがそれだったのですが、素直な目で自分を見つめ直すと何かしらあると思うんですよね。できないと思い込んでいるだけかもしれません。でも、もうちょっとやりたかったとか、またやりたいなっていうのが頭の隅っこにあって、みんなそれ一個はあると思うんですよね。それを一回、皆さんも思い出してみて、小さなことでも行動してもらえたらなと思います。二児の母である私が頑張ることで、同世代のママさんに勇気を与え、背中をそっと押せるようになりたいです。」
知り合いも友達もまったくいない香川で産後鬱となる中で、それでも諦めないで何かやりたいと行動を起こした新田めぐみさん。フィギュアスケートで国スポ出場と言うと「私にはそんな特技も才能もないから…」と尻込みしてしまいそうですが、自分の中で楽しめるものだったらなんでも良いと思います。
間もなくまた新しい年がやってきます。あなたも、初詣の際に神様に与えてもらう神頼みではなく、「今年は○○をやるので見守っていてください!」という前向きな参拝をしてみてはいかがでしょうか?
なお、新田めぐみさんが香川県代表として出場する国民スポーツ大会冬季大会フィギュアスケートは、八戸市で来年1月31日~2月3日に開催されます。香川県勢がんばれ!
