取材のこぼれ話です。
先日の記事「綾川そば」の取材で、開店待ちの長蛇の列に並んでいた時の事。
ただぼーっと並んでいるだけでは芸がないので、近くに並んでいる人たちにお蕎麦の事なんかを聞いていたわけです。
すると、あるお爺さんが「ええカメラ持ってるな」と話しかけて来ました。
お名前は伏せますが、御年88歳のお爺ちゃま。僕の持っているCanonの一眼レフに興味深々の様子。
「実はお蕎麦の取材に来てまして」
と、名刺を差し出す僕。
「取材やったらな、うちに100年前のピストルの形をしたカメラがあるんじゃけどな」
聞けば、ドイツ語の先生をなさっていたお父さんのものだったらしいのですが、当時は当たり前ですがカメラなんて一部の御大尽かごく限られた写真を撮る職業の人しか持っていなかったはず。
しかも、ピストルの形をしているといういささか信じられない話に興味を覚えて、ついお願いしてしまいました。
「もしよかったらでいいんですが、お蕎麦食べた後、お宅にお邪魔してもいいですか?」
まるで某テレビ番組のようなノリですが、お爺さんも快くOK。
お蕎麦の取材を終えて、隣のお店でたこ焼きを買っているお爺さんを見つけて、さらにお婆さんが産直で買い物したいと言うので「まだ買うんかいっ!」と勝手なツッコミを入れつつ待つこと数分、ようやくツーシーターの車で帰路についた老夫婦の後をついて行ったのでした。
尚、家バレするとまずいのでモザイクを入れさせていただきます。
また、助手席から撮影している事もついでに書き添えておきます。
「綾川そば」の会場から車を走らせること数キロ、のどかな景色を眺めつつお爺さんの家に到着しました。
お爺さんのお家は、ごくありふれた普通の民家という佇まい。
まさかこの何の変哲もないお宅にお宝が眠っていようとは、この時はまだ半信半疑だったのです。
そして、家の奥から無造作に持って来られたそのピストル型のカメラというのがこちら!
まじピストルやん!!
ちゃんと拳銃ホルダーのようなケースも残っています。
「そこを空けたらな、フイルムを入れるところがあるけん」
と、言われるまま恐る恐るカバーを空けると、確かにそれらしき空間?があります。
どうやって使うのかさえ分からない変わりダネのこのカメラ。
銃口の部分がどうやらレンズのようで、まさにピストルを構えるように撮影するのだろうと想像できます。
引き金がシャッターでしょうか?
お爺さんも実際に使った記憶が曖昧で、あれこれいじりながら拝見していたところ…
「これ、やばいっす!」
と、同行した弊誌広報スタッフが突然叫びだす。
何事かと思って聞いてみると、スマホで検索した画面をかざし、「これ、なんでも鑑定団で紹介されてます!」と。
さらに調べると、マミヤという日本のカメラメーカーが1954年に警察向けに250台のみ生産し、一般には販売されなかったとても貴重な代物である事が分かりました。(お爺さんの言った「100年前のカメラ」は、多分何かの勘違いかと…)
ここに現存している事自体、夢のような話です。
それを聞いた途端、持つ手が震える…
そこへやってきたお婆さんが、「あげまい、あげまい」と。
元関西人の僕は、いまだにお年寄りが話される讃岐弁に不案内なところがあって、玄関先にいる僕たちに「家の中に入ってもらいなさい」と言われたのかと思って「いえいえ、どうぞお構いなく、ここで大丈夫ですから」と答える大ボケ。
お爺さんが「そうやの。持っとっても使わんけん持って帰り」と言われ、大慌てとなったのでした。
ほれほれ! と差し出すお爺さんに、一瞬耳元で悪魔が囁きましたが、「いや、きっとお爺さんはこんな貴重なものだとは知らないはず」と思い直し、恐縮しつつも丁重に辞退させていただきました。
さらに、「いいもの見させてもらったよね~」なんて言いながら帰路につこうとすると、またもやお爺さんが車までやってきて、「婆さんがどうしても持って帰ってもらえって言うもんやから」とさらに差し出すとか、どんだけ心を揺すぶるねん!
このままだと寝覚めが悪いので、お爺さんにはきちんとこのカメラの価値を説明して、出来れば大切に保管するか、息子さんにでも貰ってもらうようお願いした次第です。
広報スタッフと「もしかして惜しい事した?」なんて未練タラタラで帰路につきましたが、取材をしているとこういう面白いエピソードも出て来るもんやねと泣き笑いなオチとなりました。
おしまい。