ご無沙汰致し申しますた。
すっかり不定期更新と化した説法コラムですが、決してガーカガワを放ったらかして遊んでいたわけではないのです。決して決して、ホントです。
それじゃあ何をしていたかと言いますと、これは「詐欺被害に遭って賠償請求の準備」に励んでおりました。
弁護士さんに相談して、法テラスに行って、、、もう心身ともにヘトヘトでやんす。疲れました。頑張ったー。
しかし、そんな中でも学びは有り、結果的には喜びをしっかりと得て参りましたので、そんな心をこの度は共有させて頂こうと思います。
〈過ちと罪〉
此度の一件をざっくり説明しますと、これは「依頼の不当キャンセル」でした。
7月~9月、三ヶ月間に及ぶ出張依頼を受け、準備を進めておりましたところ、7月の予定日を過ぎた頃に「やっぱりキャンセルで」という連絡が届いた。
( ꒪⌓꒪)ポカーン
しかし、そこまではまだ良い。
コロナの影響もあるし、予定の変更や中止は誰にでもあることです。
しかし、何故か「お前のせいだ」と罵倒の嵐。
筋の通らない理屈を捲し立てられ、投げ付けられる悪意にただただ辟易する日々がしばらく続いた。
聞けば、先方は似たような行為を繰り返しては自身の正当性を主張し、改善を怠る癖が有るらしく、同じような被害を受けた方が散見された。そんな話を聞いて、最初は「もうこの人たちと関わるのはやめよう」と思った。
しかし、知人に言われたとある言葉にハッとさせられることがあった。
「加害者の罪を証明出来るのは被害者だけだ、怒れる人が怒らないと人は変われない。」
波風立てないことを美徳とする風潮の強い日本だが、そもそも人は間違いを犯してしまう生き物である。誤りを指摘することを攻撃と誤認してやめてしまえば、本人は過ちを過ちと気付けずに繰り返し、被害者を生み出し続けるだろう。
その遠慮は優しさにはならず、誰も救わない。進んで他者を傷つけたい者など、どこにも居ないのだから。
慙は内に自ら羞恥す、愧は発露して人に向かう。
慙は人に羞ず、愧は天に羞ず。これを慙愧と名づく。
無慙愧は名づけて人とせず。
(罪に対して痛みを感じ、罪を犯したことを羞恥する心が慙愧。
慙愧がなければ、人と呼ぶことはできない)
by涅槃経
〈お心次第〉
そうして、事件への対処も進めつつ「せっかくなら有意義な三ヶ月を過ごそう」と心に決めた。
予定を完全に空けていたため、それは不意に訪れた夏休み状態だった。予定や収入を失くしたことに対するフォローや保証は無く、むしろ「自分のことしか考えない自己中が」と罵倒されたので、初めはとても腹が立ったし、哀しかった。
しかし、それでも「今出来ること・やるべきこと」をしようと考え、動いた。どうせ原動力にするなら、少しでも自分のためになる方が良い。
昔、職場で孤立し重度の鬱となった際は、その鬱憤を「仕返し」に向け、誰よりも自分が苦しい想いをした。恋愛でもなんでもそうだが、攻撃や他者の不幸を願う行動が己を幸せにすることはない。相手を引き摺り下ろすのではなく、自分を引き上げることに力を尽くしたほうが良い。難しいけどね。言うは易し、難しいけれど。
そう決めて動き出したら、不思議なことに良縁が巡ってくるようになった。
沢山の方にお力添えを頂き「三ヶ月拘束されるよりも良かったんじゃないか」とまで想えるようなよろこびに恵まれた。
これは、私が特に運が良かったということだろうか。
きっと、そんなことはない。
人生は、常に選択肢で溢れている。
そんな「選択肢」を我が儘に作ることは誰にも出来ないが、何を「選ぶ」かは己に委ねられている。
禍福は糾える縄の如し
災いと福は糾える縄のようなもので、表裏一体となっている。
永遠に続くような不幸もひょんなことで幸福と成るし、幸せの絶頂から絶望の底へ落ちることもある。
世に起こることは変えられないが、禍とするか福と成すかは思うがままなのだ。
不慮の事故を「この程度で済んだ」と捉えて良いし、一度のミスで「もうダメだ」と思い悩む必要は無いない。私たちに必要なのは「反省」であって「後悔」ではない。
良いことは他人の所為、悪いことは自分の所為。
まぁ、そこまで極端な聖人にはなれないし、嫌なことは怒り、誤りは指摘し合えば良い。
しかし、この心地で生きていけたなら、さぞ幸せだろうと想う。
慙は内に自ら羞恥す、愧は発露して人に向かう。
慙は人に羞ず、愧は天に羞ず。これを慙愧と名づく。
無慙愧は名づけて人とせず。
(罪に対して痛みを感じ、罪を犯したことを羞恥する心が慙愧。
慙愧がなければ、人と呼ぶことはできない)
人生は己の心次第。
だからこそ、罪を認め、改め、歩むことが重要なのだろう。
罪を憎んで、人を憎まず。
罪を犯すことが悪いんじゃない、改めないことが悪なんだ。
間違えても、許し、やり直すことのできる私たち。
だからこそ、「臭い物には蓋をする」ではなく、痛い言葉にこそ耳を向け、改めながら生きてゆこう。
片岡妙晶
真宗興正派 僧侶
平成7年1月17日生まれ。
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