ガーカガワ

妙晶さんの説法コラム「@女の敵は女?後編」

まんのう町にある慈泉寺僧侶・片岡妙晶さんの女性僧侶ならではの説法コラム。第5回目は、男性社会に身を置く自身の経験もふまえてジェンダー問題に切り込む後編です。

 

4月は力尽きて更新遅れました、妙晶です。
しかし、心の広いガーカガワ民なら許してくれると信じ、今月もいけしゃあしゃあと長話を致します。

よろしくどうぞ。

関連記事 妙晶さんの説法コラム「@女の敵は女?前編」

 

【性差別】

先月よりお話させて頂いた「性差別」問題。

「男社会=女性に厳しい」のか。
「同性社会」なら生きやすいのか。

重要なのは「性別」ではなく「相手のことを知ろう」とする姿勢の有無。それさえあれば、性別や年齢といったあらゆる肩書に関係無く歩み寄れることだろう。

が、しかし現実はそう上手くはいかない。

実際「ジェンダー問題」として社会的に取り上げられるほど「被害を受けた」と苦しんでいる人が居ることも確かである。
「相手を完璧に理解する」ことは難しくても、「相手を知ろう」とすることは誰にだって出来る。
しかし、実行に移せている人間は少ない。

何故なのか。
それらについて、実体験も含め、僧侶の視点から臆説してゆこうと思う。

【二つの理由】

前回の最後にチラッとお話したが、こういった差別問題には2つの理由が有ると考えられる。

一つ目が「他責」

問題が生じた際に「私は悪くない」と「他者の所為」にしたくなる衝動だ。
自己にも責任の及びかねない問題の主語を「性別」や「所属」といった大きな存在にすることで、その所在を有耶無耶にすることが出来る。

二つ目が「承認欲求」

人は、他者からの承認を以て自己を確立してゆく。が、折に自己を確立出来ないまま「他者からの承認に依存」している人も少なくない。
すると、仕事に於いても目的が「職としての目標」ではなく「自己の満足」にすり替わるので「職としての利」よりも「自利」を優先して動くようになる。
自分の立場を崩しかねない存在を厭うようになり、積み上げた実績や形を崩すことが出来ず、新たな価値観を受け入れられない排他的な環境が作り出されるのだ。

このような自己に対する執着を、『我執(がしゅう)』と呼ぶ。

仏教では、その克服が悟りへ至る重要な課題として長年研究されて来た。

【我執と煩悩】

そもそも、『我執』とはなんなのか。
様々な説き方はあるのだが、妙晶なりの味わいでお話させて頂くと、「我執=煩悩」である。

煩悩は全ての苦悩の根源であり、これがあるから人は苦しみ、そこから抜け出すことを「悟り」と言う。
その抜け出す手段として滝行のような修行が行われたのだが、真宗の開祖である親鸞聖人は全く別のアプローチを行った。

『共存』である。

煩悩があるから苦しみが有る。が、煩悩は「心=私らしさ」でもある。
「赤色が好き」だけど、そのままでは青色を好きな人と喧嘩になるから好きな色を失くす。「煩悩を消す」とは、そういうこと。

それでは、争いは無くなるかも知れないが「よろこび」もまた失くなってしまう。
だから、煩悩に抗うのではなく、諦めて、共に在る道を歩みましょう。
「諦める=明らめる」は、事実や道理を明らかにすること。
好きな色が違う人間と起きた争いは「好きな色」の所為では無いということ。
それを押し付けたり否定する自身のエゴが問題であって、好きなものを想う「心」は善でも悪でも無い。

己の「煩悩」に呑まれない、共に歩む道こそ私達は学ぶべきなのだ。

【安心】

その為に必要なのは「安心」感。
先述した「煩悩に呑まれる=我に執着する」状態は、自己の不安定さによる部分が大きいとされている。

自己に自信がない
→自己と違う他者の考えを受け入れられない
→他者を否定することで自己を肯定
→人間同士の争い勃発

そんな、自分で自分を肯定しないと己を保てない状態を『我執』と呼ぶ。
故に、宗教は神仏といった絶対的な存在をつくり「自己を肯定」することで安心を得ようと邁進した。
先ずは己を確立させ、その上で「どう在るべきか」を問うてゆく。
それが、所謂『念仏者の歩み』なのだ。

【負の循環】

これを踏まえて昨今のジェンダー論に話を戻すと、結局は「自己の不安定さ」に帰結するのかなぁと。
差別をする側は「自己に自信が無い」から異物を排斥するし、受ける側は「自己に自信が無い」から受け流せず傷付いてしまう。

安易に「差別する側が悪い」「違いを無くせ」で片付けられる問題でも無いのだ。

自分より若い女を受け入れられず排斥に走る御局様も、そこに至るまでに苦労したからそうなっているのだ。

それを思うと、異性といった異端者が集団に混ざるというのは「差別する人間を生みやすい」環境ではあるのかも知れない。
「自分で自分の身を守らなければならない。誰も助けてなどくれない、私は私の力しか信用出来ない。」
そうなってしまうと、他者は寄り付かなくなるし、本人はより頑なになってゆく。
苦労して作った自分の居場所は後輩に譲れないし、集団は相手をカテゴリーで捉え「だから女は」「若者は」とマイナスのイメージを重ね、別の人間にもその印象で向き合い始める。
誰も幸せにならない、まさに負の循環である。

辛いよね、辛いよ。

【本人と環境】

そのような状況を起こさない為には、何をすれば良いのか。

自分が差別されたくない、またそんな環境に身を置きたくないと思うのであれば、目の前の人を「差別しない人」にするしかないだろう。

先述の通り、他者を否定するのは自己を持たない「我執」に囚われた人間だ。
ここで言う「我執に囚われた人間」とはどういうものかというと、哀しきかな「苦労した人」が多いのです。
若さ故の我執もあるけれど、生きづらさを抱え、他者からの否定を受けながら、それでも懸命に生きてきた人に多い印象を受ける。中でも「自衛」しか生きる術を見付けられなかった者に多い。

だがしかし、それは本人の性質というよりも環境の力から成るもので。
大人で想像すると分かりづらいかも知れないけれど、子どもに置き換えればどうだろう。

何かをして貰った際に、「ありがとう」が出て来る子と「ごめんなさい」が出て来る子。

愛されて育った「他者は味方」と思えている子どもと、何をしても否定されて「自分は邪魔者」と思い育った子では、立ち居振る舞いが全く変わるだろう。

しかし、可哀想なことに人生で得をするのは愛されて育った「ありがとう」の子だ。
卑屈そうに隅でうずくまって暗い顔をした子どもより、笑いながら「○○したい」「○○欲しい」とわがままを言う子どもの方が可愛い。
そうして、愛された子どもはそのまま自衛の必要も無く健やかに育ち、否定された子どもは他者はおろか自分すら信じることが出来ず、殻に篭り生きてゆくことになるだろう。

しかし、これは先ほども言ったように「本人の性質」ではなく「環境の問題」なのだ。
100人に否定されたとしても、1人「此処が貴方の居場所だ」と想わせてくれる人が在ったなら、他者を受け入れる余裕も生まれることだろう。
そんな人間を作り上げるのが他者ならば、手を差し伸べられるのもまた他者だけなのだ。

【差別はしんどい】

実際、妙晶も僧侶になって四面楚歌で死体蹴りを受けていたときは「全員潰す」としか思えなかった。
とりあえず「やられる前にやれ」精神で生きていたので、好感など持ちようもない鬱陶しいやつだったと思う。私なら絶対に近づかない。

しかし、今は少しだけ変わってきた(と自分では思う)。
敵視する人間が居なくなったわけではないし増えてもいるけれど、背中を押してくれる人が徐々に増えて来たのだ。そんな人が僅かでも在るというだけで、それを知れただけで、その目に気付けただけで、心持ちはかなり穏やかになった。
「嫌いな奴らを潰す」ではなく「僧侶としてどう在るか」を旨に動けることがこんなに幸福なのかと、日々感動している。

差別は、する方もされる方もしんどい。
出来ることなら、誰も嫌いたくないし嫌われたくない。

それは、万人共通の想いだろう。

我執ではなくその想いを軸に据えることさえできたら、きっと大丈夫。
目の前の人が安らかで在れるよう、居場所となれる振舞いを心掛け、肯定の目で相手を見つめ、優しい顔と言葉で話し掛ける。
そんな誰にでも出来る他者への施しを「無財の七施」と言うけれど、それらを徹底すれば差別を始めとする苦悩はこの世から消えて無くなるのだ。
それが叶えば、年齢も性別も国籍だって関係ない。

綺麗ごとだと笑ってしまいそうだけれど、その実現に向けて真剣に歩み続けるのが宗教者なのだ。

【Go home and love your family.】

『わたしたち一人一人が、自分の玄関の前を掃除するだけで、全世界はきれいになるでしょう。』

『100人に食べ物を与えることができなくても、1人なら出来るでしょ? 』

『私たちは、この世で大きいことはできません。小さなことを大きな愛をもって行うだけです。』

と、マザーテレサさんも仰ってました。

色々とお話したけれど、つまりはそういうことです。
妙晶さんの言うことは聞き難くとも、マザーテレサさんの言うことなら素直に聴き入れられるでしょう。

なんて、はい。それが差別ですよ。

まぁ、それが人間よね。
そんな心を背負わず抱えて、緩く参りませふ。

 

【告知】

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お坊さんと一緒に良い朝を迎えましょう🙏

次回:5月8日(日)6時半~8時
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