塩江から県道167号線の狭い林道を抜け柏原渓谷に向かう途中、かなり懐かしい佇まいの木造校舎を目にされた人も多い事でしょう。
枌所小学校柏原分校(そぎしょしょうがっこうかしはらぶんこう)は旧綾上町(現綾歌郡綾川町)にあった小学校で、その前身は1908年(明治41年)枌所尋常小学校柏原分教所として開校。1931年(昭和6年)に一度は閉校しましたが、1948年(昭和23年)にふたたび開校、1988年(昭和63年)まで40年もの間、この地域の学び舎として親しまれました。
その後、1948年再開校時に建てられた木造校舎は存続し続けていたのですが、老朽化がかなり進み大変危険である事から、大変惜しまれながらも今回取り壊しとなりました。
「趣のあるレトロな木造校舎が近々取り壊しになる」
この情報が編集部に届いたのが2020年4月の事。こんなに趣のある木造校舎が人知れずなくなってしまうのはかなり惜しいと思い、せめて映像として記録に残せないかとガーカカワ・スーツ隊のあるメンバーから企画が持ち込まれました。
その後、綾川町教育委員会や懇意にしている町議会議員さんにお聞きしたところ、新型コロナの影響ではっきりとした時期は不明だが近々取り壊される事は決定しているそう。それどころか、台風などによりいつ倒壊してもおかしくない状態だといいます。
そこで、慌てて企画したのが第一弾としてのスーツ隊とGK少女隊による「踊ってみた3部作」だったのです。
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そして今回は第二弾として、2020年5月と11月の2回に渡って撮影した、当時着任されていた先生と卒業生の皆さんへの懐かしい当時の思い出を語っていただくインタビューを中心とした動画をまとめました。
また、取材を行う中で、秋の紅葉と春の桜が美しいという情報が寄せられ、幸運にもそのシーンを写真に収める事ができましたので、本稿ではその写真画像を中心に、すでに取り壊された木造校舎のメモリアルとして紹介したいと思います。
旧柏原分校メモリアル画像
今回の企画で最初に本校に訪れたのが2020年5月。
この時点ですでに敷地内は一般の立入りはできなくなっていたのですが、綾川町教育委員会さんからのご協力の元撮影を敢行。雨上がりのしっとりとした情景から日差しが当たるみずみずしい初夏の風景を収める事ができました。
いつ倒壊してもおかしくない状態なのでさすがに建物内には入りませんでしたが、窓から覗くと現代の鉄筋校舎にはない木造独特の温かみが感じられました。
先にも触れたとおり、今回は綾川町さんをはじめ、地域住民の方々にもいろいろとご協力を頂きました。
柏原分校に通われていた卒業生さんたちも快く現地まで足を運んでいただき、その当時の様子や思い出などを語っていただきました。
インタビューが終わってからも、懐かしさのあまり話が続く続く。ひとつの話題から火がついて、堰を切ったように思い出話がどんどん溢れて来る様子で、聞いている我々もほっこりとしてしまう楽しいひと時でした。
そして秋の紅葉シーズン。初夏とはまた違った里山特有の紅が美しい。
観光資源としての活用も当然考えられたと思いますが、いろんな情勢もあって取り壊さざろうを得なくなった関係者の方々や地域の皆さんの無念を考えると、せめてしっかりとこの美しさを残しておこうと編集部関係者総動員で企画に取り組みました。
そして、最後の春を迎えた今年の4月。あいにくの曇り空でしたが、校庭の桜も満開でした。
往時はこの桜を眺めながら新一年生が希望を胸に柏原分校に入学していったのでしょう。目を閉じれば、子どもたちの笑い声が聞こえてくるようです。
住民の方に快く許可をいただき、隣家の敷地に咲く菜の花とのコラボも写すことができました。
本来なら校舎を取り壊す前に記事を公開しようかと考えていましたが、最初の取材当時以上に自然倒壊の危険が増していたため、記事を読まれて現地に訪れた読者の皆さんが万が一危険にさらされてもいけないと思い、取り壊し後のこのタイミングとなりました。
すでにこの木造校舎跡は更地になっているそうですが、今もなお、多くの人々の心の中で大切な思い出として残り続ける事でしょう。
おしまい。
【追記】
すでに校舎は取り壊されていました。
取材協力感謝御礼 = 綾川町教育委員会、元教諭、卒業生、町議会議員ほか地域の皆さま