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妙晶さんの説法コラム「@女の敵は女?前編」

まんのう町にある慈泉寺僧侶・片岡妙晶さんの女性僧侶ならではの説法コラム。第4回目は、男性社会に身を置く自身の経験もふまえてジェンダー問題に切り込みます。

 

先日受けた、とある取材。

「女性の社会進出について」

男女が平等に輝ける社会を作るべく、「僧侶」という男性社会で働く女性の意見や考え・実情を聞きたいというものだった。
「男の人ばかりで大変じゃない?」「これからは女性の時代ね」なんてことはよく言われるけれど、私個人は正直あまり気にしたことが無かった。もちろん「ミニスカートでも履いて布教しろよw」みたいなステレオタイプのセクハラも無くはないが、大した問題には思っていなかった。
が、先日アカデミー賞でのウィル・スミスさんの一件などもあり、少し感じることもあったので、改めて「性差別」というものに向き合ってみようと思う。

そもそも、「男性社会」で女性が働くことの何を以て「大変」というのだろう。

どの業種においても、業務内容は性別より個人の資質に依るところが多く、一概に「女性だから」大変とはならない。
力持ちな女性もいるし、繊細な作業が得意な男性もいる。
となれば、論点は業務というより、おそらく心理的な「理解・理解者」ではなかろうか。

「女性特有の苦悩が理解されない」
「繊細な問題を相談しづらい」

そんな話はよく耳にする。

確かに、これは由々しき問題であろう。
しかし、同性社会ならこの悩みは解決されるのかと言われれば、そうでもないと思う。
何故なら、人は「同性」というだけで「分かった気」になってしまうからだ。

例えば「生理痛」問題。
これは、同じ女性でも個人差が大きく、軽い人は日常と全く変わらないが、酷い人は数日間起き上がれないこともあるのだ。
その為、生理痛で仕事や学校を休まざるを得ないこともままある。
しかし、同性で経験を持つが為に「生理痛位で」と理解を得られないことも、また事実なのだ。
それを受けてみると、「知らない」自覚のある異性社会の方が、まだ理解の姿勢があるかも知れない。

もちろん「異性」という異物を排除したがる者も居なくはないし、いわれのない迫害を受けることもあるだろう。

しかし、人はそもそも争いを望まない。
上手くやれるならそうしたい、出来れば平和に過ごしたいのが人情だろう。

小学生の頃を思い出して欲しい。
転校生が来ると聞いて、わざわざ「追い出そう」とは思わなかった。
むしろ、喜び迎えたのではないだろうか。
関わる中で諍いは生じるかも知れないが、端からケンカ腰というのは…ふつうは無かろう。

それらを踏まえ、此度の取材でも受けた「男性社会だから苦労した経験」「言われたりされた嫌なこと」を先ず問うような、そもそもの「男性社会での女性=辛い環境」という前提から見直してゆきたい。

「ハーレム」という言葉もあるように、集団に異性が混じることは人間にとってそもそも喜ばしいことだったはずだ。
それが何故、現状このようなことになってしまっているのか。

それは、大きく分けて2つ・・・・・

一.『他責』の心
人が自分の責任を受け入れることは、なかなか難しい。
出来れば他人の所為にしたい、自分の罪だとは思いたくない。
そんなとき、環境やアイデンティティというものは理由として大変使いやすい。
「『女(男)だから』こうなった」と言ってしまえば、誰の責任でもなくなって、とても楽なのだ。

そして、大人の言う「誰も悪くない」は「私は悪くない」でもある。

「女だから」「○卒だから」「○才だから」

否定できないアイデンティティを理由にしてしまえば、自分は安全圏から責めることが出来る。
たとえ自分の対応に非があったとしても、向き合わずに済む。
しかし、他責の心からは何も生まれず、他者との共存関係は叶わない。
人間社会の形成において重要なのは、己の罪を認める「自責」なのだ。
故に、仏教は「自業自得」といった己の行いに向き合う道を説き続けたわけだが…

思ったより長くなってしまったので、今月はここまで!!!
次号へ続く!!!

関連記事 妙晶さんの説法コラム「@女の敵は女?後編」

 

 

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