こんにちは。県民ライターの九郎判官です。
城跡マニアの皆さまお待たせいたしました、いよいよ今回は引田城跡を散策してまいりました。
そう、この城跡は東かがわ市の引田にあるのですが、引田湾に突き出た、あの可愛らしい城山を少し登っただけで 戦国の城跡を堪能できるのです。
僕の周囲ではもう一つ認知度の低い引田城跡、じつは全国からファンの押し寄せる人気の城なのです。
ここへ来て新型コロナがさらに猛威を振るっていてなかなか現地には行けないと思いますので、なるべく行った気になれるよう詳しくレポートしますね!
郷土が誇る戦国の城「引田城」
『城』は、以前にご紹介した西長尾城のような中世特有の、いわゆる「土の城」を経て後に織田信長や豊臣秀吉などにより確立された築城技術により石垣で築かれた城壁や天守閣をもつ城へと移行したと言われています。
引田城は曲輪によって異なる時代や技法の特徴を持つ、香川県を代表する城郭なのです。
※参考:土の城。八王子市にある「滝山城」
※参考:織豊期の城「大阪城」
アクセスとしては、現地で備え付けのパンフレット(持ち帰り可能)によると、高松自動車道引田ICから車で約10分、JRでは引田駅から徒歩で約20分。僕はいつもの通り県道10号から国道11号へとのんびりドライブして行きました。
※出典:引田城跡ガイドマップ 協力:東かがわ市教育委員会
これまでは田の浦キャンプ場を目指し、キャンプ場の駐車場を利用することが多かったのですが、最近では引田港側の登山口①に駐車場が用意され、とても便利になりました。
尚このパンフレット、東かがわ市歴史民俗資料館には日本語版だけではなく外国語版(英語・中国語)も用意されています。
また、田の浦キャンプ場側の駐車場にも登山口②があります。
田の浦海岸を眺めてから、という方はこちらの登山口が便利でしょう。とはいえそれぞれの登山口へは、徒歩でも5~10分程度の距離です。
引田港側の登山口に隣接する、大きな駐車場が僕のおススメです。
さてこの引田城、地道な調査と研究の成果で文化庁より国史跡の指定を受け、更にはなんと「続日本100名城」にも選定された名城です。これは公益財団法人日本城郭協会が定めたもので、選定委員はそうそうたる顔ぶれです。
数多くの候補より選定された引田城は県の誇りであり、東かがわ市の宝といえるのではないでしょうか。「全国からファンが訪れる引田城ってどんなとこなんな?」ということで よければお付き合い下さい。
メモ
今日も登山口①に駐車し、さっそく登城を開始します。
この引田城跡のある城山は、標高80数mと低いため登山未経験者でも苦も無く登れます。とはいえこの時季には虫よけスプレーとタオル、飲料などの準備は必携です。
尚、城内にはお手洗いがありません。駐車場に備えてありますので、予め済ませてまいりましょう。
案内板の立つ登り口①より、つづら折りの坂道を登り始めると間もなく直線の坂道となります。
引田城跡は、風光明媚なロケーションから大正時代には観光資源として公園へと整備された歴史があり、この登山道と、城内の遊歩道はその折に整備されたものです。
歩き始めて僅か数分、坂を登り切ったコーナーの先には最初のご褒美が待っています。
そう、引田湾の一望できるスポットが歓迎してくれるのです。
ここで先ず記念撮影というのも良いかもしれませんね。何やら荒涼とした坂道を登りつつ先に進むと更に見晴らしの良いスポットに到達します。ここにはベンチも用意されていますよ。
そういえば、前回お邪魔した時には、ここまでのルートの所どころでイラストとメッセージの記された小さな石が出迎えてくれたものですが、撤去されたか持ち去られたのか、今回は見かけませんでしたが、その時の嬉しい気持ちは忘れられません。
遠く県外から訪れた方にとっては一層思い出深いものだったでしょうね。一部ですが紹介しておきます。
そうこうしているうちに遺構に遭遇します。
誰もが知るメジャーなお城に出向き、又それなりの予備知識を持っていても、実際に訪れて石垣やお堀、そして天守の姿がみえた時には大きな感動があるのではないでしょうか。
山中に眠る遠い昔に廃城になった城などは、アクセスや登山の苦労が多い分、その感動は殊更大きく深いものとなるような気がします。
ちなみに僕はとても怖がりで、特に虫と高所が苦手です(虫を殺す人は更に苦手)。山に入ること自体が恐ろしくて引き返したくなる事もしばしばあり、実際に帰宅したこともあります。そう、俗にいうヘタレ、この辺りではおとっちゃまと呼ばれるやつです。
しかし、遺構に遭遇したことで小鳥や羽虫にビビりながら歩いた登山の疲れや、関係はないけど「夢の中でまで働いていた」などのやり場のない怒りまでをも完全にふっ飛ばしてくれます。その時には虫への恐怖感はほとんど麻痺しており、狂喜のあまり小躍りしそうになるのも山城巡りの魅力の一つだと思っています。(個人の感想です)
本丸・本丸の石垣
そうこうしているとあっという間に遺構に遭遇するはずです。
ここからは引田城跡散策マップも参照しながらお付き合い下さい。
※出典:引田城跡ガイドマップ 協力:東かがわ市教育委員会
出迎えてくれたのは本丸の石垣です。
散策マップに1のフラッグが立つ場所です。
この石垣は引田城址の中でも古く、自然石をそのまま積んだ石垣です。この引田城跡の見どころのひとつといえます。
石垣はこの写真の南面だけではなく、不完全ながらも曲輪の周囲に石が積まれています。
夏場は蜘蛛の巣などが厄介なのですが、僕は虚空に空手チョップ(死語か)を入れながら足を踏み入れていますが、
登山口にある竹杖を借りてきたほうが手っ取り早いかもしれませんね。
この本丸の石垣の上に設置された展望台も登山道や遊歩道と同じく大正時代に設置されたものです。
せっかくなので、ここでは気持ちの良い風と景観をお楽しみ下さい。
石垣と展望台からの景観を楽しんだ後は順路に戻ります。
すぐに道しるべがありますが、まずは右へ進みましょう。
本丸とは城郭の最も重要なエリアを指しで、天守台と呼ばれる区域が標高82m程の場所にあります。
このような名称ですが、はたして想像図のようなものだったのでしょうか。
※出典:引田城跡ガイドマップ 協力:東かがわ市教育委員会
先述の、東かがわ市歴史民俗資料館には現地で出土した瓦や食器などが展示されています。また調査報告書などの資料によると礎石なども確認されていることから、この引田城には瓦葺きで重層の櫓や屋敷などがあったと考えられています。
この本丸には、現在も曲輪の周囲に石積みを確認する事ができます。興味のある方は足元に注意しながら足元を覗き込んでみましょう。
天守台よりさらに進むと南端でも引田湾と街並みの景観が楽しめます。何といってもここがベストビューポイントでしょう。
南二の丸
本丸の南端から元の道しるべまで戻り、こんどは北二の丸方向に進みます。
南二の丸は、文字通り北二の丸の南に位置します。この南二の丸を通過し、大手門を経て北二の丸に辿り着くというレイアウトとなっています。
道しるべから坂を下ると、そこはもう南二の丸です。
一見すると何の変哲もない山林のように感じるかもしれませんが、この広大な削平地の周囲に、特に西面を観察するとやはり石積みを確認することができます。
大手門
前述のように、引田城の南二の丸と北二の丸という二つの曲輪に挟まれたポジションに大手門が存在したと考えられています。
ここは、その二つの曲輪の隆起により堀切のような地形となり、またそれらの連絡用の土橋の跡がみらます。また崩落したと思われる巨石が散乱し、その風格を備えているエリアと感じます。
また、大手門内の鞍部には進路を区分する為なのか土塁の跡も確認できます。
家臣団屋敷
大手門を背に北二の丸の南側(後述の石垣の下)を時計回りにすすむ道の他に、玄関谷と称す谷筋を下る道があります。後者は本来の登城ルートの大手道と考えられ、玄関谷方向に下って行くと家臣団の屋敷跡と推定される、最上段、上・中・下段に最下段と5段の広大な平坦地に到達します。
あの織田信長の築いた安土城には、そのふもとに大手道を挟むように重臣達の屋敷跡が残り、石垣の他に復元された礎石などを観察できます。
※参考:安土城の家臣団屋敷跡
この引田城では礎石などの遺構を目視することはできないものの、この場に佇んでいるとそのような屋敷跡をイメージできるのではないでしょうか。
北二の丸
大手門の北に位置する北二の丸ですが、なんといってもここが引田城址の見どころで、多くの皆さまがこの石垣目当てに引田城址に訪れるのではないでしょうか?
ここは発掘調査などから瓦葺きの御殿があったと考えられている、引田城の中でも重要なエリアの一つです。
北の丸の二段の重厚な石垣ですが残念ながら上段にあるL字型の石垣は、現在崩落の危険がありシートで覆われた状態なのですが、ここでは下段の、への字型で全長約13m、高さが5mを越える完璧な石垣をじっくりとご堪能下さい。
この高石垣が築かれた当時、本来の登城ルートである大手道や城下へのショーアップ効果は絶大なものだったのではないでしょうか。
この石垣は、訪れる季節や時間帯、鑑賞する角度などで違った表情をみせてくれるように感じます。
東の丸
大手門を中心に馬蹄型に展開した北側の尾根に展開し、西よりの、散策マップの5番の立つ付近には石垣が残ります。
東へ進むと「うまつなぎ」と称され、多くの瓦や、建物の痕跡である礎石とみられる石もあります。
尾根の先端は東ヤグラと称され、ここまで階段状に、3段の曲輪となっており、標高で約86mと引田城跡最高位となります。
また、坂を下ると引田灯台に到達します。
北曲輪
丹後丸と称し、北二の丸から土橋状の地形でつながる曲輪。
石垣の痕跡は見られず、中世のいわゆる「土の城」の特徴をもち、引田城が石垣の城への過渡期の城と考えらえる所以です。
但し、この曲輪の石垣を用いない理由として地質等(石垣が不要)を挙げる説もあるようです。
長大な曲輪のやや中央部に「折れ」という、近世の石垣にもみられるクランク型の地形がみられ、侵入者の側面より射るという防御機能とされています。
散策して、このような「土の城」の特徴を確認してみましょう。
化粧池
引田城跡の本丸と東の丸の谷間には化粧池があります。
本丸の先端から谷間へと下る道があります。折角登ってきましたが山を半分くらい下る程の僅かな寄り道です。
お姫様などの女性陣がこの池の水を使って化粧をしたと伝わるスポットです。
山城にとっては軍事上とても重要な水源ですね。
このまま先に進み東の丸に出ることもできます。そう、あの引田灯台の見えたあの場所です。
田の浦海岸
引田城跡アクセスマップにある、登山口②に隣接する駐車場までは車で移動します。
※出典:引田城跡ガイドマップ 協力:東かがわ市教育委員会
駐車場からビーチはすぐそこ。まあ、何も説明は要りませんね。
ここはキャンプ場としても人気のスポット。城郭の散策にキャンプも併せて楽しめたら最高ですね。
四国が生んだ戦国のスター長宗我部氏、そして秀吉配下の仙石氏らと共に歴史に名を刻んだ引田城。
すぐそこの山が戦国史の、舞台の一つであり、そして全国からファンがはるばる押し寄せる「名城」なのです。
散策していると随所にその遺構がみられ、僕らが少しだけイメージを膨らませると、例えば篝火のもと甲冑武者が集う緊迫した場面など戦国時代の臨場感めいたものが、そこにいて得られる史跡ではないかと思っています。
ちなみに、「続日本100名城」に選定した公益財団法人日本城郭協会によると、その選定基準として以下の3つを示しています。
(1)優れた文化財・史跡であること
(2)著名な歴史の舞台であること
(3)時代・地域の代表であること
引田城跡はこうした基準をクリアし選定された史跡です。
東かがわ市在住の方はもちろん、香川県に住みながらそこに訪れないなんて、少しもったいですよね。
僕も県内に住む引田城跡ファンのひとりで、今回ご紹介した写真の多くは盛夏に訪れた折のものです。
遺構をじっくり観察するには実はこれから、秋以降がおすすめです。
そう、お察しの通り蜂や蛇などの心配も少なく、視界を遮っていた樹々の多くは落葉し足元の覆う下草に邪魔をされることもない。
当然熱中症への危険もやわらぎます。(城熱中症への危険は回避できませんが・・・)
引田城跡は、引田湾近くの古い町並みの散策やそこでの季節の行事、田の浦キャンプ場を利用するなど城巡りとセットで楽しむことが出来るのもその特長ともいえます。
また単独よりもパートナーや仲間と一緒だと安心ですよね。是非、ご家族や気の合う仲間と登城プランを練ってみて下さいね。
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