ガーカガワ

妙晶さんの説法コラム「26才女性僧侶のボヤき@ストーカー編」

まんのう町にある慈泉寺僧侶・片岡妙晶さんの女性僧侶ならではの説法コラム。その第1回目は、警察にストーカーについての相談をした際の体験から感じた、社会における人との関わり方についての心にしみるお話しです。

 

二十歳より歩み始めた僧侶の道も、早6年目。
まだまだ長いとはいえない経歴ながら、その道のりにはボチボチ苦労もあった。

『ストーカー』

20代の女性僧侶ということで、その物珍しさからメディアに取り上げられることも増えた。
しかし、露出が増えるにつれ、ちょっと厄介な方に目を付けられてしまうことも少なくなかった。
そうして、警察のお世話になることもしばしば。

具体的な被害が出ていなくても危険性を感じたら相談へ行った。
問題を未然に防ぐ為、適切な対応策を教えてもらう為である。
警察もそうするように指導はして来ていたのだが、実際に受けた対応は少し違和感の残るものだった。

警察の本分とは、なんだろう。
取り締まったり、指導したりすることの多い警察ではあるけれど、その本質は何か。
それはきっと、誰もが安心して過ごせる社会を「守る」ところにあるのだろうと私は考える。

なので、相談にも「法的に取り締まれるか」ではなく「どうすれば相手の安心を守れるか」を念頭に向き合うものだと思っていた。
その違いが、此度に受けた違和感の根源だったのかも知れない。

一連の対応に当たった警官は「自分で決めて下さい」を強調する人達だった。
「問題を防ぐ為に出来るだけ適切な対処を取りたいから教えて欲しい」と言っても「何をすればどうなるかなんて誰にも分からない」と返すばかりで、何も教えてはくれなかった。
それどころか「そもそも表に出るということにはリスクがあるんだから警戒をもっと~」と、私を責めることの方が多かった。

ストーカー被害でただでさえ消耗していた精神には、少し苦しかった。
「相談相手」の安心を第一に考えている人ならば、きっとそういうことはしなかっただろう。
しかし、その警官達が守ろうと意識していたのは「相談相手」ではなく「自分が属している組織のルール」だった。
だから、「何が出来るか」よりも「出来ない」が先行した。

そして「相手を守る」「不安を取り除く」という明確な目的が持てていないから、自分なりの最適解を提示することも出来ず、アドバイスを求められて明言を避け、「結局は可能性の話でしかないので」と常に言い訳を付け加えることしか出来なかったのだろう。

不安を抱え助けを求める人間に、一番必要なものは何だろう。
具体的な対応・解決策も要るけれど、それ以上に「助けてくれる人が居る」という安心感が何よりも重要なのだろうと思う。
特に警察は「守る姿勢」だけで相手を安心させられる唯一の存在でもあると思う。
いま出来ることがなくても「何があっても守ります!」「いつでも動きます!」と心の底から言ってくれるだけで、相手は充分救われる。
警察官は、それだけの社会的影響力と信用を持っている。

なのに、警察が「他者の安心」よりも規則の順守を優先するようになったのは何故だろう。

交通ルールは事故が起こらなくても取り締まるのに、対人関係はどんなに苦しんでいても具体的な法律違反が起こるまで助けてくれない。
「法的に問題は無いので」「嫌なら無視すれば?」と言って、取り合ってもくれない。
ひとこと「何があっても守ります」と伝えてくれるだけで、救われるのに。
どうしてそれが言えないんだろう。

その根底には、警察だけでなく社会の風潮が大きく関わっているのかも知れない。
「他者を守る」と同時に「他者を取り締まる」という立場は、とても批判を受けやすい。
そんな状況で我身を守りながら職務へ就いているうちに、規則という「軸」がいつしか「枠」となっていったのでしょう。

そして、社会が平和となるにつれ批判対象へと変わり始めた警察は「誰か」以上に「我が身」を守るエネルギーが必要となった。
「他者を守る」という本分に向けて動こうにも、その他者が攻撃を仕掛け、動きを害するようになってしまったのだ。
だから、安心な社会生活の為に警察へ働いてもらおうと思ったなら、私達「守られる側」は「警察」という存在を守らなきゃいけない。

警察が「守る」という本分を全うすることと同じように、私たちもまたその力を遺憾無く発揮できる社会環境を提供することが義務なのでしょう。

そして、これはきっと警察だけの話ではない。
人間社会は、全て「相互関係」で成り立っている。
名前も呼ばれなければ意味を成さないように、全ての物事には送り手と受け手で成り立っている。

しかし、そんな常識も現代では希薄になりつつある。
連絡手段が、口頭から郵便へ、郵便から電子メールへと変わったように、本来なら目の前に在るはずの「相手」が文明の発達に伴い見えづらくなってしまった為だ。

以前であれば、生活の中で身につけられた感覚が今や「意識して」教わらなければ分からないものとなってしまった。
「己の人生が一人芝居ではない」
人生は劇団で、自分は「私の人生」の主人公で、また「誰かの人生」における脇役である。

そんな人としての心持ちを教えてくれたのが「宗教」であった。

この先、文明の発展により人との関係は希薄になる一方だろう。
しかし、どれだけ便利な世の中になろうとも、社会を形作るものが人間である以上「他者と関わらない」世の中はきっと来ない。
どれだけ見えづらくても、誰かに触れながら生きている。
だからこそ、此度のような出来事は減らし、悪循環を断ち切り、友好な相互関係のある未来を作っていきたい。

人と関わる機会が減るのであれば尚のこと、貴重な一度一度は心地好いものにした方が幸せだ。
「情けは人の為ならず」
人に対して掛けた情けは、巡り巡って自分に返ってくる。

良いことをすれば、良いことが返ってくる。
悪いことをすれば、悪いことが返ってくる。

そんな当たり前の「共存の意思」を持って、これからの時代を作っていこう。
そして、妙晶は警察に説教が出来る僧侶になりたい。

⚫︎著書『しょうまさん』発売中
信心厚く素朴な人柄で親しまれた香川県出身の偉人「谷口庄松」をモデルにした絵本。
一休を思わせるような問答も多く、残された数多くの逸話は全国的に知られている。
そんな庄松が生まれたきっかけとなる幼少期の姿がこの絵本には描かれている。
英語教育にも使える英訳付き。
Amazon、YOMOにて販売中!

⚫︎しょうまさんSNS
香川県の豆知識をしょうまさんイラストと共に投稿中。
誰かに話したくなるちょっとニッチなウンチクがてんこ盛りです。

▶︎Twitter
▶︎Instagram